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2020.07.18

「幽玄」というまどろみ

 一方、中国楚の詩人・屈原が洞庭湖に身を投げたそれは「公の死」を呼び起こし遂に端午の節句に祭られるに到った。彼の詩「離騒」に代表される憂国の思いには真摯な誠が有った。その姿には幽玄が垣間見えてくるのである。それは屈原には太宰が如き醜い欲望が存せず、清らかであったからだ。

 幽玄の死は侘びの死と共通するものである。だが侘びと決定的に違うことは、幽玄には一層の美が要求されることである。視覚的で明らかな美がそこには存在する。それに比して侘びにはその素直な美の麗しさは皆無である。一方、「侘び」に有される徹底した孤絶観や透徹した空観は幽玄には無いのである。

 幽玄の死は侘びの死と共通するものである。だが侘びと決定的に違うことは、幽玄には一層の美が要求されることである。視覚的で明らかな美がそこには存在する。それに比して侘びにはその素直な美の麗しさは皆無である。一方、「侘び」に有される徹底した孤絶観や透徹した空観は幽玄には無いのである。

(『侘び然び幽玄のこころ』第二章 幽玄 幽玄は黄泉の国への誘い)