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2020年10月

2020.10.30

老子とタオ〈3〉

 老子『清浄経』より、引き続き紹介します。

【第一章 無 極 品】(続き)

 大道無情 運行日月

大道には本来人間のような感情はないが、能(よ)く日月星辰を抱きし大宇宙を過不足なく運行することが出来る。

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※日月星辰…太陽と月と星

(『タオと宇宙原理』第七章 老子のタオ 老子の世界)

2020.10.28

老子とタオ〈2〉

 大道(だいどう)とは、『日本国語大辞典』には「人のふみ行なうべき、正しい道。根本の道理。老荘思想でいう無為自然の道。」と書かれていますが、一般の理解はこのようなものです。この中では「無為自然の道」というのは正しいが、では無為自然とは何かが説明されていません。では、無為自然を調べると、「作為がなく、宇宙のあり方に従って自然のままであること。『無為』『自然』は『老子』に見られる語で、老子はことさらに知や欲をはたらかせずに、自然に生きることをよしとした。」と、書かれています。一見もっともらしく聞こえますが、老子の指摘はそのレベルに収まることはありません。確かに、大道と口にされる時には人の道に対してその指針を示す言葉として用いられることが多い。その意味では決して間違いだとは言えません。しかし、ここに「大道無形にして天地を生育し」と表現されたときの大道は、そのような意味でないことは誰しもが理解できるでしょう。

 この場合の大道とはこの大宇宙を創造した力のことを意味しています。ではその特別な力とはなにかが問題となります。

 つまりその理解は2つに大別されるからです。しかもそれは往々にして唯物論者との間で対立するものとなります。

 その1つは人間の意思概念を超えた<純粋意志>なる宇宙創造主を指し、他は、根源的物質としての<純粋エネルギー>を指すために唯物論者は純粋エネルギーに一切を還元させ、それをもって全てとしてしまう事による対立が生じるのです。

 大道とはその両者を指し、更には人の世にあっては、大道が持つ道徳律に従う生き方が説かれることになるのです。

 それがいかなるものかは、これから少しずつ学んでもらうことにしましょう。

2020.10.26

老子とタオ〈1〉

 今日から、『タオと宇宙原理』第七章「老子のタオ」に掲載した老子『清浄経』を紹介していきたい。

◆老子の世界

 「無極」といえば老子をもって他に語るべき適任者はいない。もっとも、そのことばそのものは後世語られるようになったもので、ここには見出せないのであるが、その義が明確に述べられている。老子の経とされている『清静経(せいじょうきょう)』は次のように語っている。

【第一章 無 極 品】

 老君曰(わつ) 大道無形 生育天地

 老子が曰(い)われるには、大道には本来形象はないが、能(よ)く天を生じ、地を育成することが出来る。

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※無極(むきょく)…(1)(形動)果てのないこと。限りのないこと。また、そのさま。無窮。(2)中国、道家の語で、きわまりない世界の根源をいう。のち、宋学にとり入れられ、易の「太極」と結びつけられ、宇宙の生成に先立つ存在として、宋学の重要な形而上的概念となった。(小学館『日本国語大辞典』)

※老君(ろうくん)…老子のこと。(不詳)中国古代の思想家。姓は李、名は聃 (たん) 。春秋時代末期、周末の混乱を避けて隠遁を決意し、西方の関所を通過しようとしたところ、関所役人の尹喜(いんき) に請われて『老子道徳経』二巻を著わしたとされる。儒家の教説に反論して無為自然の道を説いた。

※大道(だいどう)…人のふみ行なうべき、正しい道。根本の道理。老荘思想でいう無為自然の道。(小学館『日本国語大辞典』)

(『タオと宇宙原理』第七章 老子のタオ 老子の世界)

2020.10.25

『タオと宇宙原理』〈62〉第一章 インド哲学との類似性

 さて話を戻そう。「人間原理」説のディッケらは量子論の観測結果等のヒントから〈宇宙意志〉が自分を認識させるために人類を創造したと考えたのであるが、物理学者がどう繕おうとそれは現代版創世記に他ならない。彼のこの説は意外なことに多くの同業者の支持を得ることになる。さらに、一九七四年イギリス人のブランドン・カーターがより強力な論文を発表して以降、年を重ねるごとに支持者が増え続けているのである。

 つまり、実は多くの物理学者は無神論者ではなかった、ということである。そして「宇宙は人間を創造するために設計されたのだ」と主張するに到り、ディッケの説を「弱い人間原理」、カーターの説を「強い人間原理」と呼ぶようになった。宇宙が今の状態へと導かれたのは必然であったとするものである。彼らが説く宇宙意識とは宇宙生命とも解釈できる。その場合には、東洋の「タオ」を意味することになる。この場合の概念は宇宙意識が放出された状態を指す。放出以前の純粋精神を指すのではない。この二者の違いは明瞭に理解される必要がある。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 インド哲学との類似性)

2020.10.24

『タオと宇宙原理』〈61〉第一章 インド哲学との類似性

 さて、人間原理の主体は将にインド・ヴェーダの中心概念である純粋精神を指すものであった。もっとも、彼らは自分たちの祖としてのギリシャ哲学を起源というのかも知れない。すなわち、アリストテレスが命名したところの古代人が根源的物質と考えた「イーレム」である。後にビッグバン理論を提唱した人物の一人、ロシア人のジョージ・ガモフは先行したイエズス会の聖職者でベルギー人の天文学者ルメートル神父が一九三一年に提唱した冷たい宇宙のビッグバン理論に対し、超高温の理論を発表し、超高密度で超高温の塊の宇宙の形態をイーレムと名付けた。ルメートルはそれをヴェーダの表現そのままに「宇宙卵」と呼んでいる。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 インド哲学との類似性)

2020.10.23

『タオと宇宙原理』〈60〉第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説

◆インド哲学との類似性

 しかし、それはギリシャ哲学時代に遡(さかのぼ)ったようでもあった。だが現代物理学者たちは巧妙にそれを「神」とは呼ばない。物理学者としてのプライドがそれを許さないからである。そこで彼らは「宇宙意志」や「宇宙意識」などと呼ぶようになった、しかし、これはインドのヴェーダに出てくる純粋精神そのものの概念であった。実は、理論物理学者、中でも宇宙論や量子論をやる人たちが思考の参考書としてヴェーダやインド哲学や仏教や老荘を学んでいることは夙(つと)に知られている。因みに、近代の哲学者の大半も然りである。二十世紀最大の哲学者と称されるハイデガーの〈世界内存在〉や〈存在了解〉や〈超越〉またダーザイン(現存在)やダスマン(世人)などの思考には明らかに仏教哲学から影響を受けたと思われる「器世間(きせけん)」や「無我(むが)」や「凡夫(ぼんぷ)」や存在論などの概念が散見されるのである。二十一世紀に君臨するウィトゲンシュタインの有名な「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という哲学も、形而上学的質問に対する「無記(むき)」や「捨置(しゃち)」として無返答を貫いた仏陀の教えや「無我」を説く仏教の影響下にあるように筆者には思え、彼を巨人と称することには疑問を感ずる。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 インド哲学との類似性)

2020.10.22

『タオと宇宙原理』〈59〉第一章 量子仮説の大発見

 シュレーディンガーの「波動関数」は量子力学の最重要な方程式となった。その量子の波の性質についてはその時はまだ解明されていなかったが、ニールス・ボーアらが「物質波の確率解釈」を世に発表し、量子の波を実体と捉えていたアインシュタインらから猛反発を受けることになった。

 特に、観測者が見るまで量子はどこにも現われないとする「波束の収縮」について大論争になったことは有名である。「では君が見ていないときには月は存在していないとでも言いたいのかね!」 アインシュタインはコペンハーゲン解釈に対して苛立っていた。しかし、この論争はアインシュタインの敗北に終わった。「神はサイコロを振らない」。これもアインシュタインのボーアらに向けて発せられた有名な言葉である。そして、晩年のアインシュタインは統一場理論に固執しながらも完成させることが出来ずこの世を去った。プランクと並ぶ量子論の創始者の一人であり、相対性理論という画期的発想で物理学を牽引した天才アインシュタインにして理解できなかった量子の世界の不思議が「人間原理」の背景として措定(そてい)されている。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 量子仮説の大発見)

2020.10.21

『タオと宇宙原理』〈58〉第一章 量子仮説の大発見

 シュレーディンガーの「波動関数」は量子力学の最重要な方程式となった。その量子の波の性質についてはその時はまだ解明されていなかったが、ニールス・ボーアらが「物質波の確率解釈」を世に発表し、量子の波を実体と捉えていたアインシュタインらから猛反発を受けることになった。

 特に、観測者が見るまで量子はどこにも現われないとする「波束の収縮」について大論争になったことは有名である。「では君が見ていないときには月は存在していないとでも言いたいのかね!」 アインシュタインはコペンハーゲン解釈に対して苛立っていた。しかし、この論争はアインシュタインの敗北に終わった。「神はサイコロを振らない」。これもアインシュタインのボーアらに向けて発せられた有名な言葉である。そして、晩年のアインシュタインは統一場理論に固執しながらも完成させることが出来ずこの世を去った。プランクと並ぶ量子論の創始者の一人であり、相対性理論という画期的発想で物理学を牽引した天才アインシュタインにして理解できなかった量子の世界の不思議が「人間原理」の背景として措定(そてい)されている。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 量子仮説の大発見)

2020.10.20

『タオと宇宙原理』〈57〉第一章 量子仮説の大発見

 なお、既述の通りプランクの発見から五年後、アインシュタインによって「量子仮説」に修正が加えられている。すなわち、エネルギーには量子はなく「光エネルギー」に「光量子(光子)」が存在するとし、光量子の集団が波の形で伝わるのだと発表した。これがかの有名な光は粒子であると同時に波である、という定理である。これを「光量子仮説」という。これによりアインシュタインはノーベル賞を授与されている。これも後にボーアから修正されることになる。しかし、プランクの計算式は完璧だった。

 プランクやアインシュタインの量子論を更に進めたのがニールス・ボーアで、電子にも粒子の性質があることを発見した。一九一〇年代である。これはアインシュタインの光子は粒子であるという説からのヒントによるものであった。それに影響を受けたルイ・ド・ブロイが「物質粒子の量子論」を、更にそれに影響を受けたエルヴィン・シュレーディンガーが「波動力学」を完成させるに到っている。

2020.10.19

『タオと宇宙原理』〈56〉第一章 量子仮説の大発見

 一九一三年、五十五歳の時、プランクはベルリン大学の学長に就任した。

 就任するとすぐにアインシュタインを教授に迎え入れた。プランクは彼の才能を以前から高く評価していたからである。アインシュタインはプランクの助手を務めていたリーゼ・マイトナーに「あなたが羨ましい」と言った程にプランクの実力を認め尊敬していた。