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<title>たゆたう道タオ - 文筆家・思想家　森神等覚の公式ウェブサイト BLOG</title>
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<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2022/03/21779/">
<title>風の時代？</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2022/03/21779/</link>
<description>
少し前の事件だが、川崎市宮前区で、助手席に乗せたインコに気を取られよそ見運転をした女性ドライバーが、自転車とぶつかり、乗っていた二人を死亡、一人に重傷を負わせた事故があった。
昔からこの手の事故はあるが、最近、非常に増えたと私は思う。これは時代の要請とも言える。

西洋占星術では、2020年12月から「風の時代」に入ったと言われる。これは約200年のスパンで続く時代の流れで、その前は約200年にわたる「土の時代」だった。

土の時代は、お金、物質、地位など、人々が形あるものを求める時代だったのに対して、風の時代は、自由、平等、柔軟性、情報、知性、精神性など、目に見えないものに価値が置かれる時代だと言われる。また、土の時代は縦社会だったのに対し、風の時代は横社会、既存社会の枠組みにしばられず、自由に、正に風のように軽やかに生きていくことが求められていく。

これは、それまでの時代は自分に厳しいことが要求されていたのに対し、楽しいことや、自分の気持ちがゆったりする方向、自由な方向へと気持ちがいってしまうこと、すなわち、責任よりも自分の思いというものの方が優先されていく時代になりかねないことを意味している。

私は一度、家の前の道路を走る車を何十分か見続けたことがある。何とその7、8割が皆、携帯を見ていたのだ。別の時に見た際には、2、3割だったが、実に驚かされたものだ。

自由や平等が重んじられる時代は、良い時代である。しかし、その反面、非常に自分に甘い無責任な時代になりかねない。

こうした事故は、これからも頻発するだろう。この時代を生きる我々は、こうした危険を踏まえて、それを回避する行動を取る必要があるだのろう。
</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2022-03-05T14:05:00+09:00</dc:date>
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<p>少し前の事件だが、川崎市宮前区で、助手席に乗せたインコに気を取られよそ見運転をした女性ドライバーが、自転車とぶつかり、乗っていた二人を死亡、一人に重傷を負わせた事故があった。<br />
昔からこの手の事故はあるが、最近、非常に増えたと私は思う。これは時代の要請とも言える。<br />
<br />
西洋占星術では、2020年12月から「風の時代」に入ったと言われる。これは約200年のスパンで続く時代の流れで、その前は約200年にわたる「土の時代」だった。<br />
<br />
土の時代は、お金、物質、地位など、人々が形あるものを求める時代だったのに対して、風の時代は、自由、平等、柔軟性、情報、知性、精神性など、目に見えないものに価値が置かれる時代だと言われる。また、土の時代は縦社会だったのに対し、風の時代は横社会、既存社会の枠組みにしばられず、自由に、正に風のように軽やかに生きていくことが求められていく。<br />
<br />
これは、それまでの時代は自分に厳しいことが要求されていたのに対し、楽しいことや、自分の気持ちがゆったりする方向、自由な方向へと気持ちがいってしまうこと、すなわち、責任よりも自分の思いというものの方が優先されていく時代になりかねないことを意味している。<br />
<br />
私は一度、家の前の道路を走る車を何十分か見続けたことがある。何とその7、8割が皆、携帯を見ていたのだ。別の時に見た際には、2、3割だったが、実に驚かされたものだ。<br />
<br />
自由や平等が重んじられる時代は、良い時代である。しかし、その反面、非常に自分に甘い無責任な時代になりかねない。<br />
<br />
こうした事故は、これからも頻発するだろう。この時代を生きる我々は、こうした危険を踏まえて、それを回避する行動を取る必要があるだのろう。</p>
</div>
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<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/08/21777/">
<title>映画『犬部！』に思う</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/08/21777/</link>
<description>



篠原哲雄監督の最新作『犬部！』とてもいい映画だった。



公開されてすぐ、篠原哲雄監督の『犬部！』を観た。
片野ゆか著のノンフィクション『北里大学獣医学部　犬部！』を原案とした、動物保護と若者の青春物語だ。 
素晴らしかった！　本当にいい映画だった。
 初めから終わりまでずっと映画に引き込まれ、最後まで気が散ることなく観ることができた。多くの人に観てもらいたい作品だった。



もう少しテレビ等での宣伝の時間があると良かったというのが正直な感想である。角川的には、あのようなちょっとコメディ調なイメージＣＭ（多分パンフレットの表紙もそうであったと思われるのだが、映画館ではパンフレットを置いていなかったので購入することが出来なかった）でいきたいのだろうが、あのＣＭは失敗していたと思う。あれでは、コメディというイメージでしか受け止められない。実際の内容は、極めてシビアで重いものだったが、主役たちが楽しげに並んでひょうきんな格好などしているスチールには何とも違和感を感じた。
対象は若い女性たちである。彼女たちにペットを守りたいという意識を与えることが出来れば、客足は増加するはずだ。
知り合いの篠原監督の作品でなければ、このスチール写真で映画を観ることはなかっただろう。あのスチール写真からは、若者たちの軽い青春像は想像出来ても、深刻な命の問題までは想像することは出来なかった。
実際に映画を観始めて、その内容が犬の殺処分問題であることを知り「参ったな」と内心思った。幼少の頃より、動物愛護については、非常に強い意識があったものだから、こういう辛い内容は、観るのが耐えられないという心理からだった。
しかしながら、メイン主役の極めて前向きで意欲的な自己主張、そしてまたそれを理解する優れた指導教官の構図が、この気持ちを払拭させてくれ、その後からは、真剣に観ていった。
殺処分や実験動物の問題というのは、ピタゴラスの禁欲主義や、プラトンが理想国家のあるべき姿として菜食主義であることを提示したことなどを思い出させる。ピタゴラスが創設した教団では、動物を殺すことは殺人に、食肉は食人に等しいと考えた。プラトンは、神は人間の体に栄養を補給するために木と植物と種を創造した、肉食が始まったことで戦争が始まったと語っている。
古くからの大きな課題であったわけだが、このように一人の獣医の熱い思いによって、この世界の状況が僅かながらでも改善されていったことに、改めて喝采を送りたいと思う。</description>
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<p>篠原哲雄監督の最新作『犬部！』とてもいい映画だった。</p>
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<p>公開されてすぐ、篠原哲雄監督の『犬部！』を観た。</p>
<p>片野ゆか著のノンフィクション『北里大学獣医学部　犬部！』を原案とした、動物保護と若者の青春物語だ。 </p>
<p>素晴らしかった！　本当にいい映画だった。</p>
<p> 初めから終わりまでずっと映画に引き込まれ、最後まで気が散ることなく観ることができた。多くの人に観てもらいたい作品だった。</p>
</div>
</div>
</div>
<p>もう少しテレビ等での宣伝の時間があると良かったというのが正直な感想である。角川的には、あのようなちょっとコメディ調なイメージＣＭ（多分パンフレットの表紙もそうであったと思われるのだが、映画館ではパンフレットを置いていなかったので購入することが出来なかった）でいきたいのだろうが、あのＣＭは失敗していたと思う。あれでは、コメディというイメージでしか受け止められない。実際の内容は、極めてシビアで重いものだったが、主役たちが楽しげに並んでひょうきんな格好などしているスチールには何とも違和感を感じた。</p>
<p>対象は若い女性たちである。彼女たちにペットを守りたいという意識を与えることが出来れば、客足は増加するはずだ。</p>
<p>知り合いの篠原監督の作品でなければ、このスチール写真で映画を観ることはなかっただろう。あのスチール写真からは、若者たちの軽い青春像は想像出来ても、深刻な命の問題までは想像することは出来なかった。</p>
<p>実際に映画を観始めて、その内容が犬の殺処分問題であることを知り「参ったな」と内心思った。幼少の頃より、動物愛護については、非常に強い意識があったものだから、こういう辛い内容は、観るのが耐えられないという心理からだった。</p>
<p>しかしながら、メイン主役の極めて前向きで意欲的な自己主張、そしてまたそれを理解する優れた指導教官の構図が、この気持ちを払拭させてくれ、その後からは、真剣に観ていった。</p>
<p>殺処分や実験動物の問題というのは、ピタゴラスの禁欲主義や、プラトンが理想国家のあるべき姿として菜食主義であることを提示したことなどを思い出させる。ピタゴラスが創設した教団では、動物を殺すことは殺人に、食肉は食人に等しいと考えた。プラトンは、神は人間の体に栄養を補給するために木と植物と種を創造した、肉食が始まったことで戦争が始まったと語っている。</p>
<p>古くからの大きな課題であったわけだが、このように一人の獣医の熱い思いによって、この世界の状況が僅かながらでも改善されていったことに、改めて喝采を送りたいと思う。</p>
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<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/07/21776/">
<title>老子とタオ〈３３〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/07/21776/</link>
<description>
　以上『清静経』をもって東洋哲学の真髄に触れて頂いた。老子の作というも実際は『老子道徳経』や『易経』を底本とした後世の偽作と思われる。註釈は『宝巻経』として出された「太上老子清静科儀」等からの借用と思われる。周兆昌訳本を私流に手を加えて一般に分かりやすく簡易に紹介したつもりである。
ここで述べていることは、無極或いは太極という全体的根源的存在であり、循環還源の理法である。この理を体得した者が覚者と呼ばれるのだ。この古よりの哲学が現代物理学の理論とも一致している点を改めて理解して頂ければ幸甚である。より直観的に解説したのは物理的哲学的知識ではなく真に体得を望む者にとって、少しでも資助となればと思ってのことである。知識で道を究めんと欲しても、所詮は無理である。究極は体得以外になく、その点を強調しているといえよう。
----------------------------------------
【註】この『清静経』が真に老子の作かどうかは疑わしく多分に偽作と思われるのだが、老子の真髄が述べられているという点ではその価値が下がるものではない。明らかに後半の「太上老君日」（第十六章消長品）以後と前半とは違う流れで著わされたものであり、後半部分は宗教的要素を明らかに持たせている。
前半部分においても最後の「可伝聖道」とは、どうも老子らしからぬ表現である。老子が積極的に伝道を促すとはピンとこないところだ。この辺は多分に道教の流れをくむ派によって造られたように思われる。もう一つ文として明らかに流れが飛躍しているところがある。
なんであれ、老子が説くタオの世界は無為の世界である。それは微かにして無限の深さと広がりを持つ概念だ。更には、実存を超克する形で肯定するという現実主義の姿でもある。それは無我なる空を説きながら八十歳まで生きた仏陀の実存とも重なってくる。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
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<dc:date>2021-07-04T14:15:00+09:00</dc:date>
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<p>　以上『清静経』をもって東洋哲学の真髄に触れて頂いた。老子の作というも実際は『老子道徳経』や『易経』を底本とした後世の偽作と思われる。註釈は『宝巻経』として出された「太上老子清静科儀」等からの借用と思われる。周兆昌訳本を私流に手を加えて一般に分かりやすく簡易に紹介したつもりである。</p>
<p>ここで述べていることは、無極或いは太極という全体的根源的存在であり、循環還源の理法である。この理を体得した者が覚者と呼ばれるのだ。この古よりの哲学が現代物理学の理論とも一致している点を改めて理解して頂ければ幸甚である。より直観的に解説したのは物理的哲学的知識ではなく真に体得を望む者にとって、少しでも資助となればと思ってのことである。知識で道を究めんと欲しても、所詮は無理である。究極は体得以外になく、その点を強調しているといえよう。</p>
<p>----------------------------------------</p>
<p>【註】この『清静経』が真に老子の作かどうかは疑わしく多分に偽作と思われるのだが、老子の真髄が述べられているという点ではその価値が下がるものではない。明らかに後半の「太上老君日」（第十六章消長品）以後と前半とは違う流れで著わされたものであり、後半部分は宗教的要素を明らかに持たせている。</p>
<p>前半部分においても最後の「可伝聖道」とは、どうも老子らしからぬ表現である。老子が積極的に伝道を促すとはピンとこないところだ。この辺は多分に道教の流れをくむ派によって造られたように思われる。もう一つ文として明らかに流れが飛躍しているところがある。</p>
<p>なんであれ、老子が説くタオの世界は無為の世界である。それは微かにして無限の深さと広がりを持つ概念だ。更には、実存を超克する形で肯定するという現実主義の姿でもある。それは無我なる空を説きながら八十歳まで生きた仏陀の実存とも重なってくる。</p>
<p>（『<a href="https://www.morigamishoyo.com/books/9784434279492/" target="_blank" rel="noopener">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
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<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21775/">
<title>老子とタオ〈３２〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21775/</link>
<description>
老子『清浄経』第２４章を紹介します。
【第二十四章　超　昇　品】
真常之道　悟者自得　得悟道者　常清静矣
この真常の道、真実にして無極なる本道は自らの力で得る他に術はない。兢兢として己が心を観、常に変わらざる不動の誠心こそが悟の道を見出すのである。深遠幽玄の道理を悟り徹す人だけが永遠に常清常静の域に至るのである。将にこれこそが真の不生不死の態である。修行者よ万事万物のいかなるものをも決して貪り求めてはならないのだ。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
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<dc:date>2021-06-29T10:00:00+09:00</dc:date>
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<p>老子『清浄経』第２４章を紹介します。</p>
<p>【第二十四章　超　昇　品】</p>
<p>真常之道　悟者自得　得悟道者　常清静矣</p>
<p>この真常の道、真実にして無極なる本道は自らの力で得る他に術はない。兢兢として己が心を観、常に変わらざる不動の誠心こそが悟の道を見出すのである。深遠幽玄の道理を悟り徹す人だけが永遠に常清常静の域に至るのである。将にこれこそが真の不生不死の態である。修行者よ万事万物のいかなるものをも決して貪り求めてはならないのだ。</p>
<p>（『<a href="https://www.morigamishoyo.com/books/9784434279492/" target="_blank" rel="noopener">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
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</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21774/">
<title>老子とタオ〈３１〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21774/</link>
<description>老子『清浄経』第２３章を紹介します。
【第二十三章　生　死　品】
便遭濁辱　流浪生死　常沉苦海　永失真道
人というのは実に愚かである。せっかくの生であるにも拘わらず、便（たやす）く濁辱に遭（あ）い心奪われて生死輪廻に流浪する。自己中心であるが故に常に苦海に沉（しず）み、永遠に真道を失なうことになる。これ以上の恐ろしき事実は他にない。世の成功を得る者も失なう者も共に汚濁の情に支配され、本来純真無垢の天性を穢（けが）す。得失の得をもってしても、再びと救われることはない。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2021-06-23T10:00:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162441291894153200" class="cms-content-parts-sin162441291894160400"><p>老子『清浄経』第２３章を紹介します。</p>
<p>【第二十三章　生　死　品】</p>
<p>便遭濁辱　流浪生死　常沉苦海　永失真道</p>
<p>人というのは実に愚かである。せっかくの生であるにも拘わらず、便（たやす）く濁辱に遭（あ）い心奪われて生死輪廻に流浪する。自己中心であるが故に常に苦海に沉（しず）み、永遠に真道を失なうことになる。これ以上の恐ろしき事実は他にない。世の成功を得る者も失なう者も共に汚濁の情に支配され、本来純真無垢の天性を穢（けが）す。得失の得をもってしても、再びと救われることはない。</p>
<p>（『<a href="https://www.morigamishoyo.com/books/9784434279492/" target="_blank" rel="noopener">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p></div>
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</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21773/">
<title>老子とタオ〈３０〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21773/</link>
<description>
老子『清浄経』第２２章を紹介します。
【第二十二章　煩　悩　品】

既生貪求　即是煩悩　煩悩妄想　憂苦身心

貪求は次に煩悩となって燃え続け、身も心も傷付けていく。しかし世人はこの理を看破することが出来ず、自らを正として何ら顧みることがない。しかし貪求は不満を生じさせ憤りや怨み、哀しみや不安となって苦悶するのである。その結果、妄想は更に昂じて我見なる屁理屈をもって真実と見なし、永遠なる苦海へと転落していくのである。

（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2021-06-20T10:00:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162417933720977400" class="cms-content-parts-sin162417933720986100">
<p>老子『清浄経』第２２章を紹介します。</p>
【第二十二章　煩　悩　品】
<p></p>
既生貪求　即是煩悩　煩悩妄想　憂苦身心
<p></p>
貪求は次に煩悩となって燃え続け、身も心も傷付けていく。しかし世人はこの理を看破することが出来ず、自らを正として何ら顧みることがない。しかし貪求は不満を生じさせ憤りや怨み、哀しみや不安となって苦悶するのである。その結果、妄想は更に昂じて我見なる屁理屈をもって真実と見なし、永遠なる苦海へと転落していくのである。
<p></p>
<p>（『<a href="https://www.morigamishoyo.com/books/9784434279492/" target="_blank" rel="noopener">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
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<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21772/">
<title>老子とタオ〈２９〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21772/</link>
<description>老子『清浄経』第２１章を紹介します。
【第二十一章　貪　求　品】
既着万物　既生貪求
人というのは一度万物に執著しはじめると、それに牽かれて次から次と貪求（どんきゅう）を生ずるのである。理性では徳行の大事さを知りつつもそれ以上の欲求に支配され、寝食をも忘れるほどに万物に恋恋として離れることがない。実に哀れなるも、決してそれから脱却しようという気にはならないのが凡夫の性である。貪求は後生に次々と禍いを招くことになる。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
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<dc:date>2021-06-14T10:00:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162363325980540900" class="cms-content-parts-sin162363325980548700"><p>老子『清浄経』第２１章を紹介します。</p>
<p>【第二十一章　貪　求　品】</p>
<p>既着万物　既生貪求</p>
<p>人というのは一度万物に執著しはじめると、それに牽かれて次から次と貪求（どんきゅう）を生ずるのである。理性では徳行の大事さを知りつつもそれ以上の欲求に支配され、寝食をも忘れるほどに万物に恋恋として離れることがない。実に哀れなるも、決してそれから脱却しようという気にはならないのが凡夫の性である。貪求は後生に次々と禍いを招くことになる。</p>
<p>（『<a href="https://www.morigamishoyo.com/books/9784434279492/" target="_blank" rel="noopener">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）<br />
</p></div>
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</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21771/">
<title>老子とタオ〈２８〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21771/</link>
<description>
老子『清浄経』第２０章を紹介します。
【第二十章　万　物　品】
既驚其神　即着万物
人に妄心あれば元神が驚かされ随次識神に牽引される。一旦識神が出現するとあらゆることに心を着すようになり、最早、その勢いを止めることは至難である。惑乱昏倒されし元神はその働きを内に秘め表に出ることを阻まれる。果たして、この元神をいかにして恢復（かいふく）させるかが焦眉の急である。この道こそが全てに先んじての一大事である。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2021-06-11T10:00:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162337436055508400" class="cms-content-parts-sin162337436055515700">
<p>老子『清浄経』第２０章を紹介します。</p>
<p>【第二十章　万　物　品】</p>
<p>既驚其神　即着万物</p>
<p>人に妄心あれば元神が驚かされ随次識神に牽引される。一旦識神が出現するとあらゆることに心を着すようになり、最早、その勢いを止めることは至難である。惑乱昏倒されし元神はその働きを内に秘め表に出ることを阻まれる。果たして、この元神をいかにして恢復（かいふく）させるかが焦眉の急である。この道こそが全てに先んじての一大事である。</p>
<p>（『<a href="https://www.morigamishoyo.com/books/9784434279492/" target="_blank" rel="noopener">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21770/">
<title>老子とタオ〈２７〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21770/</link>
<description>
老子『清浄経』第１９章を紹介します。
【第十九章　人　神　品】
既有妄心　即驚其神
修道者は、妄心を生ぜぬよう心しなければならない。妄心は元神を驚かしその作（はたら）きを滞らせ、心意は一気に物欲の囚となって恋着するのである。かくて恋々と妄執は続き、終（つい）にはその本（もと）を感ずることすら出来なくなる。修道とは元神を妄心の万殊へ流さないことであり、還源の理法によって一に帰する以外にない。これを聖というのである。
--------------------------
※元神を妄心の万珠へ～　心を事象悉くに対し妄りに散じないようにし、元神なる霊（たましい）の根本に意識を集中し続けること。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
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<dc:date>2021-06-07T10:00:00+09:00</dc:date>
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<p>老子『清浄経』第１９章を紹介します。</p>
<p>【第十九章　人　神　品】</p>
<p>既有妄心　即驚其神</p>
<p>修道者は、妄心を生ぜぬよう心しなければならない。妄心は元神を驚かしその作（はたら）きを滞らせ、心意は一気に物欲の囚となって恋着するのである。かくて恋々と妄執は続き、終（つい）にはその本（もと）を感ずることすら出来なくなる。修道とは元神を妄心の万殊へ流さないことであり、還源の理法によって一に帰する以外にない。これを聖というのである。</p>
<p>--------------------------</p>
<p>※元神を妄心の万珠へ～　心を事象悉くに対し妄りに散じないようにし、元神なる霊（たましい）の根本に意識を集中し続けること。</p>
<p>（『<a href="https://www.morigamishoyo.com/books/9784434279492/" target="_blank" rel="noopener">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21769/">
<title>老子とタオ〈２６〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/06/21769/</link>
<description>老子『清浄経』第１８章を紹介します。
【第十八章　妄　心　品】
衆生所以不得真道者　為有妄心
衆生が真の道を得ることが出来ないのは、将に妄心有るがためである。常に六欲にてこの世の刺激を受け妄りなる発想にその生き方を任せてしまっては、どこに道を見出すことが出来ようか。何をもって生の根幹となし何をその目的となすかを先ず定めなければならない。常にその心に妄りなきかを問い、天の理法に添って生きなければならない。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）</description>
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<dc:date>2021-06-04T10:55:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162277220260832600" class="cms-content-parts-sin162277220260840200"><p>老子『清浄経』第１８章を紹介します。</p>
<p>【第十八章　妄　心　品】</p>
<p>衆生所以不得真道者　為有妄心</p>
<p>衆生が真の道を得ることが出来ないのは、将に妄心有るがためである。常に六欲にてこの世の刺激を受け妄りなる発想にその生き方を任せてしまっては、どこに道を見出すことが出来ようか。何をもって生の根幹となし何をその目的となすかを先ず定めなければならない。常にその心に妄りなきかを問い、天の理法に添って生きなければならない。</p>
<p>（『<a href="https://www.morigamishoyo.com/books/9784434279492/" target="_blank" rel="noopener">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p></div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21768/">
<title>老子とタオ〈２５〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21768/</link>
<description>老子『清浄経』第１７章を紹介します。
【第十七章　道　徳　品】
上徳不徳　下徳執徳　執著之者　不明道徳
上徳の人は無心であり拘泥がないから自己の評価というものに何ら頓着しない。他人の反応を気にして生きることがない。下徳は常に物欲に執著し続けるため他の評判を気にし、周囲の顔に左右されてその止まる所を知らない。無為にして初めて道徳を解することが出来、有為にしては道徳の姿を見出すことすら出来ないのである。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2021-05-30T10:00:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162233412779812700" class="cms-content-parts-sin162233412779821000"><p>老子『清浄経』第１７章を紹介します。</p>
<p>【第十七章　道　徳　品】<br />
上徳不徳　下徳執徳　執著之者　不明道徳<br />
上徳の人は無心であり拘泥がないから自己の評価というものに何ら頓着しない。他人の反応を気にして生きることがない。下徳は常に物欲に執著し続けるため他の評判を気にし、周囲の顔に左右されてその止まる所を知らない。無為にして初めて道徳を解することが出来、有為にしては道徳の姿を見出すことすら出来ないのである。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p></div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21767/">
<title>老子とタオ〈２４〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21767/</link>
<description>老子『清浄経』第１６章を紹介します。
【第十六章　消　長　品】
太上老君曰　上士無争　下士好争
老子が曰われるには、上士なる大徳の人は聖人の心を持ち、渾然たる天理に基づいているため全ての現象を包擁し、俗塵に混わりてなお高らず他と争うことがない。しかし下士なる凡人はあらゆることに固執するが故に、その一いちに心が奪われ悪癖を生じて他と争いが絶えることがない。知識や出世に著する者は進んで競争相手を作り自ら争いを好むのである。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:date>2021-05-27T10:00:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162207382808314500" class="cms-content-parts-sin162207382808323200"><p>老子『清浄経』第１６章を紹介します。</p>
<p>【第十六章　消　長　品】</p>
<p>太上老君曰　上士無争　下士好争</p>
<p>老子が曰われるには、上士なる大徳の人は聖人の心を持ち、渾然たる天理に基づいているため全ての現象を包擁し、俗塵に混わりてなお高らず他と争うことがない。しかし下士なる凡人はあらゆることに固執するが故に、その一いちに心が奪われ悪癖を生じて他と争いが絶えることがない。知識や出世に著する者は進んで競争相手を作り自ら争いを好むのである。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p></div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21766/">
<title>老子とタオ〈２３〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21766/</link>
<description>
老子『清浄経』第１５章を紹介します。
【第十五章　聖　道　品】
為化衆生　名為得道　能悟之者　可伝聖道
衆生が修行をなすにその目標なくては定め難きが故に、敢えて得道と名づけ為すのである。しかし、真に行を完成させた者にとっては、得道などという形式が存在するわけではない。形式をもって無極に至ることは不可能であり、真の行者は竟に感じ動じて得道となすのである。この理が真に領せられる者だけが聖なる道を語ることが出来る。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
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<dc:date>2021-05-24T10:10:00+09:00</dc:date>
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<p>老子『清浄経』第１５章を紹介します。</p>
<p>【第十五章　聖　道　品】<br />
為化衆生　名為得道　能悟之者　可伝聖道<br />
衆生が修行をなすにその目標なくては定め難きが故に、敢えて得道と名づけ為すのである。しかし、真に行を完成させた者にとっては、得道などという形式が存在するわけではない。形式をもって無極に至ることは不可能であり、真の行者は竟に感じ動じて得道となすのである。この理が真に領せられる者だけが聖なる道を語ることが出来る。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21765/">
<title>老子とタオ〈２２〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21765/</link>
<description>
老子『清浄経』第１４章を紹介します。
【第十四章　妙　有　品】
雖名得道　実無所得
得道・覚醒と雖も、これ無所得である。しかしまた無尽蔵でもある。何ら心の著する所がない。外象外形に纏（まと）われることなく、仮り世界から心を退いて、己が心奥に果徳を修めることに他ならない。内果が円明となれば、自然（じねん）と欲心は消失し、名利恩愛酒色財気或いは福禄寿の事々に心は奪われない。外に何も無くなれば内に無所得を持し理天に還（かえ）る。
--------------------------------
※無所得　何ものにもとらわれないこと。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2021-05-19T10:00:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162113428649011200" class="cms-content-parts-sin162113428649019500">
<p>老子『清浄経』第１４章を紹介します。</p>
<p>【第十四章　妙　有　品】<br />
雖名得道　実無所得<br />
得道・覚醒と雖も、これ無所得である。しかしまた無尽蔵でもある。何ら心の著する所がない。外象外形に纏（まと）われることなく、仮り世界から心を退いて、己が心奥に果徳を修めることに他ならない。内果が円明となれば、自然（じねん）と欲心は消失し、名利恩愛酒色財気或いは福禄寿の事々に心は奪われない。外に何も無くなれば内に無所得を持し理天に還（かえ）る。</p>
<p>--------------------------------</p>
<p>※無所得　何ものにもとらわれないこと。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21764/">
<title>老子とタオ〈２１〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21764/</link>
<description>
老子『清浄経』第１３章を紹介します。
【第十三章　真　道　品】
如此清静　漸入真道　既入真道　名為得道
このように清静無為になれれば漸次正しい道に至ることが出来る。すでに真道・正法を得れば名づけて「得道」即ち悟を得るとなす。これ解脱である。真道は凡夫の小知恵や才能でその奥を理解できない。心で領し意で会得して初めて得られるものである。真道は広義的には人身も成し、男精女血の交合により精は鉛、血は汞（こう、水銀）となって男女の別を産む。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:date>2021-05-16T10:40:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162112941983539700" class="cms-content-parts-sin162112941983547800">
<p>老子『清浄経』第１３章を紹介します。</p>
<p>【第十三章　真　道　品】<br />
如此清静　漸入真道　既入真道　名為得道<br />
このように清静無為になれれば漸次正しい道に至ることが出来る。すでに真道・正法を得れば名づけて「得道」即ち悟を得るとなす。これ解脱である。真道は凡夫の小知恵や才能でその奥を理解できない。心で領し意で会得して初めて得られるものである。真道は広義的には人身も成し、男精女血の交合により精は鉛、血は汞（こう、水銀）となって男女の別を産む。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21763/">
<title>老子とタオ〈２０〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21763/</link>
<description>
老子『清浄経』第１２章を紹介します。
【第十二章　真　常　品】
真常応物　真常得性　常応常静　常清静矣
修道の者に在って、涅槃境なる真常（良智）性が物事に会って自在に対処し、その本（もと）常に変わらざれば真の清静を得ている。事に応じて動じ変ずるも、事無ければ静として止（とど）まるを知る。真常とは道なる玄徳の顕われである。常清常静と雖も相対世界の如くに動性を否定するものではなく、形象をもって察し難き綿々たる空なる流れが週（めぐ）っているのである。
--------------------------------
※涅槃（ねはん）　迷いの火を消した状態。ニルヴァーナ。ニルヴァーナに入ること。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:date>2021-05-12T19:15:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin162081485806339800" class="cms-content-parts-sin162081485806349700">
<p>老子『清浄経』第１２章を紹介します。</p>
<p>【第十二章　真　常　品】<br />
真常応物　真常得性　常応常静　常清静矣<br />
修道の者に在って、涅槃境なる真常（良智）性が物事に会って自在に対処し、その本（もと）常に変わらざれば真の清静を得ている。事に応じて動じ変ずるも、事無ければ静として止（とど）まるを知る。真常とは道なる玄徳の顕われである。常清常静と雖も相対世界の如くに動性を否定するものではなく、形象をもって察し難き綿々たる空なる流れが週（めぐ）っているのである。</p>
<p>--------------------------------</p>
<p>※涅槃（ねはん）　迷いの火を消した状態。ニルヴァーナ。ニルヴァーナに入ること。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21762/">
<title>老子とタオ〈１９〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21762/</link>
<description>
老子『清浄経』第１１章を紹介します。

【第十一章　虚　空　品】
観空亦空　空無所空　所空既無　無無亦無　無無既無　湛然常寂　寂無所寂　欲豈能生　欲既不生　即是真静
三心（過去現在未来心）を掃き四相（人我衆寿相）が除かれれば、内に心も形も物も存在しない。唯空のみ存在する。戯論・言説・世俗諦の空も言辞認識をもって得んとすれば再びと空じられてその終（とど）まる所がない。将に真空妙有の実相である。寂静も寂静に執われることなき真寂の域に至ればこれが真静である。

----------------------------------------
※戯論（けろん）　形而上学的議論。無益な言論、無意味な話、それごと、たわむれ。
※世俗諦（せぞくたい）　一般的な真理。見定められない宇宙の原理がこの世に形となって現われたありのままの姿。
※真空妙有（しんくうみょうう）　真理ないし真如が一歳の妄想を離れて増すこともなければ減ることもない執着を離れた姿を真空と称し、常住不変であって、しかも現実を成立せしめる真実の有（実存）である点を妙有という。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:date>2021-05-09T10:00:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<div id="cms-editor-minieditor-sin162034971200074100" class="cms-content-parts-sin162034971200081700">
<p>老子『清浄経』第１１章を紹介します。</p>
<p></p>
<p>【第十一章　虚　空　品】</p>
<p>観空亦空　空無所空　所空既無　無無亦無　無無既無　湛然常寂　寂無所寂　欲豈能生　欲既不生　即是真静</p>
<p>三心（過去現在未来心）を掃き四相（人我衆寿相）が除かれれば、内に心も形も物も存在しない。唯空のみ存在する。戯論・言説・世俗諦の空も言辞認識をもって得んとすれば再びと空じられてその終（とど）まる所がない。将に真空妙有の実相である。寂静も寂静に執われることなき真寂の域に至ればこれが真静である。</p>
<p></p>
<p>----------------------------------------</p>
<p>※戯論（けろん）　形而上学的議論。無益な言論、無意味な話、それごと、たわむれ。</p>
<p>※世俗諦（せぞくたい）　一般的な真理。見定められない宇宙の原理がこの世に形となって現われたありのままの姿。</p>
<p>※真空妙有（しんくうみょうう）　真理ないし真如が一歳の妄想を離れて増すこともなければ減ることもない執着を離れた姿を真空と称し、常住不変であって、しかも現実を成立せしめる真実の有（実存）である点を妙有という。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21761/">
<title>老子とタオ〈１８〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/05/21761/</link>
<description>
老子『清浄経』第１０章を紹介します。
【第十章　虚　無　品】
能遣之者　内観其心　心無其心　外観其形　形無其形　遠観其物　物無其物　三者既悟　唯見於空
　能く三毒を滅すれば、心を内観するに心に執われの心はなく、外に形を観るも形に着する心はない。大宇宙を観るに物質形象もないと悟り得れば唯、空のみを見る。心・形・物に一切執われない状態こそが本性の円明なる姿である。物外を超然として浮俗の仮形に繞われることはない。このように雑念執著を遣除した人だけが空なる真性を観ずることが出来るのである。
---------------------------------------------
※内観　観・観法・正観ともいう。内省によって心の内に真理を観察する仏教一般の修行法。自己そのものを見つめる修行。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:date>2021-05-06T09:20:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<div id="cms-editor-minieditor-sin162026134747897900" class="cms-content-parts-sin162026134747905300">
<p>老子『清浄経』第１０章を紹介します。</p>
<p>【第十章　虚　無　品】</p>
<p>能遣之者　内観其心　心無其心　外観其形　形無其形　遠観其物　物無其物　三者既悟　唯見於空</p>
<p>　能く三毒を滅すれば、心を内観するに心に執われの心はなく、外に形を観るも形に着する心はない。大宇宙を観るに物質形象もないと悟り得れば唯、空のみを見る。心・形・物に一切執われない状態こそが本性の円明なる姿である。物外を超然として浮俗の仮形に繞われることはない。このように雑念執著を遣除した人だけが空なる真性を観ずることが出来るのである。</p>
<p>---------------------------------------------</p>
<p>※内観　観・観法・正観ともいう。内省によって心の内に真理を観察する仏教一般の修行法。自己そのものを見つめる修行。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/04/21760/">
<title>老子とタオ〈１７〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2021/04/21760/</link>
<description>
老子『清浄経』第９章を紹介します。
【第九章　気　質　品】
所以不能者　為心未澄　慾未遣也
　三毒が滅しないのは未だ心が澄まず欲が遣ぜられていないからである。仏仙神聖へ至らんと発するならば、喜怒哀楽を去らねばならない。則ち喜びの情を化して元性となし、怒りの情を化して元情となし、哀しみの情を化して元精となし、楽しみの情を化して元神となし、欲の情を化して元気となすが肝要である。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）

</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:date>2021-04-29T20:25:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<div id="cms-editor-minieditor-sin161969599488669300" class="cms-content-parts-sin161969599488676800">
<p>老子『清浄経』第９章を紹介します。</p>
<p>【第九章　気　質　品】</p>
<p>所以不能者　為心未澄　慾未遣也</p>
<p>　三毒が滅しないのは未だ心が澄まず欲が遣ぜられていないからである。仏仙神聖へ至らんと発するならば、喜怒哀楽を去らねばならない。則ち喜びの情を化して元性となし、怒りの情を化して元情となし、哀しみの情を化して元精となし、楽しみの情を化して元神となし、欲の情を化して元気となすが肝要である。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
<p></p>
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<title>老子とタオ〈１６〉</title>
<link>https://www.morigamishoyo.com/blog/2020/12/21759/</link>
<description>
老子『清浄経』第８章の続きを紹介します。
【第八章　三　尸　品】（続き）
　外相を外相として捉えて内相に入れることなくただその実相のみを心に止める。三毒とは三尸神(さんししん) であり玉枕関(ぎょくちんかん) 、夾脊関(きょうせきかん) 、尾閭関(びりょかん) に住し、順に上中下の焦善悪を管轄する。三関九竅を閉塞(へいそく)せし三尸九蟲(ちゅう)を滅し法輪を転ずる要がある。
--------------------------
※三尸神(さんししん)　上尸（彭琚。道士の姿）、中尸（彭質。獣の姿）、下尸（彭矯。牛の頭をして人の足をもつ）の三つ。
※玉枕関(ぎょくちんかん)　後頭部に位置。
※夾脊関(きょうせきかん)　背中上部付近に位置。
※尾閭関(びりょかん) 　尾骶骨付近に位置。
（『タオと宇宙原理』第七章　老子とタオ）
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<dc:date>2020-12-03T10:05:00+09:00</dc:date>
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<p>老子『清浄経』第８章の続きを紹介します。</p>
<p>【第八章　三　尸　品】（続き）</p>
<p>　外相を外相として捉えて内相に入れることなくただその実相のみを心に止める。三毒とは三尸神(さんししん) であり玉枕関(ぎょくちんかん) 、夾脊関(きょうせきかん) 、尾閭関(びりょかん) に住し、順に上中下の焦善悪を管轄する。三関九竅を閉塞(へいそく)せし三尸九蟲(ちゅう)を滅し法輪を転ずる要がある。</p>
<p>--------------------------</p>
<p>※三尸神(さんししん)　上尸（彭琚。道士の姿）、中尸（彭質。獣の姿）、下尸（彭矯。牛の頭をして人の足をもつ）の三つ。</p>
<p>※玉枕関(ぎょくちんかん)　後頭部に位置。</p>
<p>※夾脊関(きょうせきかん)　背中上部付近に位置。</p>
<p>※尾閭関(びりょかん) 　尾骶骨付近に位置。</p>
<p>（『<a href="/books/9784434279492/" target="_blank">タオと宇宙原理</a>』第七章　老子とタオ）</p>
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