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2020.10.28

老子とタオ〈2〉

 大道(だいどう)とは、『日本国語大辞典』には「人のふみ行なうべき、正しい道。根本の道理。老荘思想でいう無為自然の道。」と書かれていますが、一般の理解はこのようなものです。この中では「無為自然の道」というのは正しいが、では無為自然とは何かが説明されていません。では、無為自然を調べると、「作為がなく、宇宙のあり方に従って自然のままであること。『無為』『自然』は『老子』に見られる語で、老子はことさらに知や欲をはたらかせずに、自然に生きることをよしとした。」と、書かれています。一見もっともらしく聞こえますが、老子の指摘はそのレベルに収まることはありません。確かに、大道と口にされる時には人の道に対してその指針を示す言葉として用いられることが多い。その意味では決して間違いだとは言えません。しかし、ここに「大道無形にして天地を生育し」と表現されたときの大道は、そのような意味でないことは誰しもが理解できるでしょう。

 この場合の大道とはこの大宇宙を創造した力のことを意味しています。ではその特別な力とはなにかが問題となります。

 つまりその理解は2つに大別されるからです。しかもそれは往々にして唯物論者との間で対立するものとなります。

 その1つは人間の意思概念を超えた<純粋意志>なる宇宙創造主を指し、他は、根源的物質としての<純粋エネルギー>を指すために唯物論者は純粋エネルギーに一切を還元させ、それをもって全てとしてしまう事による対立が生じるのです。

 大道とはその両者を指し、更には人の世にあっては、大道が持つ道徳律に従う生き方が説かれることになるのです。

 それがいかなるものかは、これから少しずつ学んでもらうことにしましょう。