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2020.07.25

哲学の根本的命題

 それは、①なぜ自分なのか―。②なぜ存在するのか―。この二つである。

 意識が有るとか無いとかは戯論にすぎず、デカルトが言うように「われ思う」からスタートしないことには何も解決しないのである。

 もっとも、仏教哲学の中核をなす〈空〉の哲学は「一切悉空」であり物体のみならず意識までもその存在のすべてを否定する。しかしそれは、分析哲学のようなことば遊びとして否定するのではなく、本気で否定するのである。遊びか本気かの違いである。本気で否定するということになると、ここに現存在として実存する自分とどう折り合いをつけるかという問題が発生する。そこが、仏教哲学のもっとも難解なところだ。

 その答えは、この世もあの世も錯覚だと理解することで、整合させていくのである。夢から覚めると虚しい存在であったように、この世もあの世も自分も他者も〈現実〉と錯覚している自分から目覚めると〈空〉たる真理に到るというわけである。その世界をニールヴァーナ(涅槃)と説いたわけである。西洋哲学の思考と比べるといたって単純であるが、その理解となると、西洋哲学のような論理的展開ではないだけに却って極めて困難となる。ましてや、悟るとなると、まったく違う次元だ。

(『人生は残酷である』第一章 自然哲学への憧憬 哲学の根本命題は二つ)