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2020.07.20

幽玄は叡智の表象

 日本人の幽玄観には、真理探究が欠落しているのである。何を以て天地の法となし、何を以て魂の救いとするのかという最大の命題を日本人は見出さぬままに、万葉の時以来現在に至るまで生を営み続けてきたのである。そもそも幽玄は、大地に汗を流してきた者の叡智に対して表象したものであり、それは何千年にも亘って顕われてきた。

 その理を学ばんとするならば、その哲理は中国の老子に代表される思想に倣うを要するのである。

 谷神不死  谷神は死ぜず           人に宿りし神秘の谷神は死せず

 是謂玄牝  是れを玄牝と言う         その名を神秘なる源と言う

 玄牝之門  玄牝の門             

 是謂天地根 是れを天地の根という       それは天人地として天地を繋ぎ

 綿綿若存  綿綿として存するが若し      恰も永遠が如くに

 用之不勤  之を用うれども勤きず       尽きることなき本源の力である

 この玄牝の玄は幽玄の玄と同義である。本来玄は透明感のある黒色のことであり、それは神秘の源であり、道なる存在を意味している。それは、より根源的でわが国の幽玄に表現される軟弱性を許容しない。

(『侘び然び幽玄のこころ』第二章 幽玄 哲学としての幽玄)