BLOG

2020.08.07

実存に見る神の否定と孤独

 サルトルは言う、「人間はまず先に実存し、世界内に不意に姿を現わして、その後に定義されるものである」と。「人間は実存の後に初めて人間になるのであり、自らが決意選択した者になるのだ」と、主体性を持って生きることを主張したのである。何故に主体性を持ち得るのかといえば、神が否定され存在しないからであると説くのである。それまでは、神(キリスト教)が「人間はこうであらねばならない」と決定していたが、もはや神は存在せず、それ故、人は自らの本質を選び取った上で未来を創り上げねばならないと説いた。

 その時初めて、人は神の束縛から自由を勝ち得たのである。この場合の神とはキルケゴール的にはキリスト教規範のことであり、サルトル的にはまさに神そのものの存在否定であった。その結果、サルトルを一つの不安が襲うことになる。拠り所のない不安である。指針なき不安であり、規定されるべき規範のなさが、〈実存の不安〉としてサルトルを襲ったのである。それは、サルトルに内在する良心の不安であったのかも知れない。ニーチェほどにニヒルになり得ないサルトルの弱さだったのかも知れない。しかし、実存の哲学とは、一切の思惟と決断を自己一身に引き受けることであった。

 われわれの存在は偶然であり、無意味であり、不条理である。だからこそ人間は自由である。しかしそれ故に〈不安〉に襲われるのである。その事をサルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と説いた。「われわれは逃げ口上もなく孤独である」と。それはカントの孤独性と自由とに似ているが、サルトルは神を否定することで、自分の行為や思考に対する価値判断をも喪失し、一切の結論を見出せなくなったのである。ここまでは、一つの論理性があるのだが、しかし、そこから脱出したところのサルトルの思考は、結局は、自分の感情のままに生きるという選択でしかなかった。そこには大きな矛盾が有されるのであるが、その事に言及されることなく、彼は社会参加(アンガージュマン)を唱えることになるのである。

 当然のことながら、それは彼の感情論でしかなかった。一見論理を述べるのであるが、実際のところ、それは彼の感情的好みでしかなかったのである。

 1871年の世界初の社会主義政権「パリ・コミューン」の樹立でも明らかなように、伝統的にフランス人にはコミュニズムへの傾倒があり、その意味でサルトルがブルジョア(中産階級)に対する批判を強めていくのは、それなりの理解ができるのである。さらに、マルクスの思想の欠点に気付くことなく、レーニンを支持する彼の思考は、その時代の先駆者としてある意味当然のことだったのかも知れない。多くの知的エリートが同様の思考へと陥ったことは容易に想像できるのである。

 その背景には第一次世界大戦(1914~18年)による厭世観、マルクス主義に基づく社会主義社会を成立させたロシア革命(1917年)への希望、スペイン風邪(1918~19年)による5千万人から1億人(世界人口の30~15分の1)の死亡の恐怖、そして、量子力学の解明に伴う従来のキリスト教的価値の喪失といったことがあった。その帰結としてサルトルに自覚されたのが神の死であり自由への渇望であった。

(『人生は残酷である』第一章 自然哲学への憧憬 実存に見る神の否定と孤独)