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2020.08.17

侘び感と坐禅

 筆者が坐禅に没頭していたのは、侘び感が最も有る十代の時期であった。上京して、ある種の孤独性、超然とした他との孤立感があった時は一層強まった。そういう時にこそ、坐がよく組めるのである。何故かと言うと、これは体質にもよるが、精神が非常に安定するからである。尤もこれは人によるだろう。気の弱い人はそうはならないかもしれない。元々気の強いタイプの人間というのは、辛い時、寂しい時ほど寧ろよく気が収まる。陽として表に出る気の強い人たちというのは、その様に陰の気が襲うことによって、バランスがうまく取れてきて、非常に落ち着いて坐禅が捗るのである。

 であるから、そういう孤絶感の中で、侘び感というものを味わうということは、筆者は十代から二十代にかけて非常に強くあった。因みに、当時、曹洞宗永平寺の修行僧の一日をルポルタージュしたテレビ番組を見た時の驚きはいまだに忘れられない。彼らの食事風景が映されている時に、ナレーターの声が如何にも厳しい修行をしているという口調で「……粗食に耐えて…」といった内容のことを語ったのである。それを見た時、貧乏学生だった筆者は憤ったものだった。

 彼らの食事は筆者のそれよりも数倍は贅沢だったからである。量も倍はあった。勿論、その時の筆者も玄米菜食で成人男子の一食分の量(或いはそれ以下)が一日の食事の量であった。一切の間食をすることはなかった。自分なりの仏道修行をしていた頃だったからである。大学で仏教を学んでいる四年間、その生活は変わらなかった。毎日の水行も行なっていた。冬の水道水は想いの外冷たかったが、それは十五歳の時からずっと続けていたことであった。実家にいた頃は毎日井戸水百杯をかぶり、時には風呂に半分の水を溜めてその中で一時間の坐禅を為すこともあった。夏はお遊びだが、九州と雖も流石に冬は覚悟が要ったものである。それでも実家は井戸水だったので水道水よりは楽だったかもしれない。

 坐禅が捗るのは、この侘びと、後に語る然び感というものが内在しているが故のものである。否、内在どころか、表にも常にそれがあって、それ故に侘び然び観というのは、当時の筆者に常について回っていた。ただそれを表現するだけの才覚はまだなかった。

 侘び観を味わうことがない人間に、真の求道心は生まれてこない。求道心が生じない者に真の「侘び道」も開かれてこないのである。

 「侘びしい」という感性を、高い意識で把握出来るか否かは、美の追求に於いてとても重要である。その人の美意識の高低をそっくりそのまま全く同位に理解する上での基準となるからである。

(『侘び然び幽玄のこころ』第五章 「侘び然び」の再定義 侘び感と坐禅)