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2020.06.17

日々の営みを受け止める感性

 二歳頃からは、毎朝六時に起きて、庭で祖父と一緒に目の前の海を眺めてポンポン船(漁船)の往来に耳を傾け、その海を隔てた先の朝日を拝しながら歯磨きをしてその日がスタートしたものだ。祖父はいつも「じいちゃんが死んだら、あの畑はあんたにやるけんね」と語っていた。それは繰り返し祖父の口から発せられたことで、幼い筆者の心に「死」が明瞭に刻印されていくことになる。

 祖父との儀式の後、外の井戸から水を汲み上げ、その水で顔を洗い口を灌ぐ。室内では母が竈で麦飯を炊き上げる所である。ご飯やみそ汁の香りが土間の室内に満たされ幸せな気分が漂う時でもあった。大きな桶には母の自慢の漬け物が一年分漬けられていた。漬け物の桶には発酵によって生じる黄味を帯びたアクの泡が蓋から滲み出て空気に触れている。その独特な匂いの世界。どの家庭にもある人々の営み。それを肌で感じ取りながら育てられた者でなければ、「侘び」に辿り着くことはない。そこには豊かな感性が要求されてもいる。感性が有されねば、環境に恵まれても何も見出せない。辿り着かない者は欲や偏見や物質主義の世界で生きる事になる。

 だが筆者が見た世界は日本人が千年以上に亘って受け継いできた日常であった。その土間の部屋は母屋とは繋がっていたが、明らかに部屋というよりは大きな小屋に近く、物置と同時に台所でもあった。その厨房の窓はガラスなど付いておらず可動式の木の縦格子で出来ていて、そこから入る陽の光は暗い台所に、白い光となって射し込んでくるもので、一種独特の空間を演出した。言うならば侘びと幽玄の趣があった。煤に被われたその真っ黒の室壁にその白く淡い微粒子の葆光は、幼い筆者にとても魅力的に映った。昼間、陽が射し込む時間はよくその場所に行って眺めていたものである。特に肌寒い時のその陽射しは心までが暖かくなり幸せな一瞬だった。静かな静かな一人だけの至福の空間であった。薪や土間の臭いも重要な脇役であった。その中央に五右衛門風呂が配され、毎日薪をくべて沸かすのであるが、これが中々の曲者だった。

(『侘び然び幽玄のこころ』第一章 侘び 「侘び」「幽玄」は太古からの営み)