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2020.05.28

美しい「地に足が着いた侘び」

 では、「侘び然び」を最も実践し、日常の生活そのものにしている人たちは誰であろうか。それは昔ならばイタリア、アッシジの聖者フランチェスコとその仲間たちだった。彼らは禅よりも勝れた無一物を実践した。現代なら、アメリカのキリスト教復古主義のアーミッシュの人たちである。

彼らの生き方はとても魅力的である。茶道家元など足下にも及ばない。人力で出来る範囲内の文明化しか認めていないのである。彼らは実に自分に対して厳格である。その決まり事は決して宗教的ではなく、自然感覚的と言った方がすっきりと受け入れやすい。そこが魅力的なのである。彼らは、早朝に起きて祈り食事をして、畑を耕し薪を割り水汲みをする。夜は読書をし家族団欒をして、一日を終わるのである。何と美しいのだろうと思う。

 茶会の時だけ侘びを語ったところで、日々の生活そのものの侘びに生きている人たちには全く敵わないのである。四六時中茶の湯の準備を仕続ける「茶人の侘び」と、明日の種蒔きの準備を怠らない「地に足が着いた侘び」と、果たしてどちらがより高い精神美を持っているのかと言えば、アーミッシュたちの方である。彼らは決して教条的ではなく、実に質素であり、謙虚である。土を耕すことを忘れない。彼らの生き様には明らかに「侘び」が息衝いているのである。
果たして生きるとは何であるのか。「侘び」とは単なるお稽古の美意識という戯言で終わらせてよいのか、一度じっくりと、しかし真剣に考える必要がある。この儘では、日本人の精神性は地に落ちるのではないかと思うばかりである。

(『侘び然び幽玄のこころ』第四章 ヨーロッパに於ける「侘び然び幽玄」 ヨーロッパの然び)