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2020.05.25

忘れ得ぬニュージーランドの風景

 筆者が旅した中でこの場にずっといたいと思った所の一つに、ニュージーランドのクライストチャーチから山奥にドライブに行った時だったろうか、そこは温泉施設の近くだった様に記憶しているのだが、一軒家しかない小さな入り江に数十メートルの長い木の桟橋が突き出ていたのである。

 一切の騒音はなく、ラジオの音もない。ただ、風に草が靡く幽かな音だけがする、時間が何世紀にも亘って止まっている様な所であった。そこに佇んでいると、生きているということがこんなにも幸せだったのかと思えてくるのだ。余りの心地良さにそこに二時間程立ちすくんで、引き上げることにしたのだが、入り組んだ小さな入り江に静かに突き出た手作りの桟橋。この風情、この侘び感、そして然びたる人の手が入った草原…何にも邪魔されない細く長い風…肌を優しく撫でていくそのえも言われぬ至福の時。そこに住みたいと、旅の途中であるにも拘わらずその直後に不動産屋に向かった程だったが、残念ながら手に入れることは出来なかった。全く別な趣ではあるが、霞がかった夕刻や早朝のイスタンブールも何とも情緒があって一人よく歩いたものだった。

 「侘び然び」は、安物にしか宿らないのではない。仮令それが華美で巨大であったとしても、それを見上げ、その中に入り、そこの空気を吸う人間が、そこに侘び感を覚えたならばそれは、紛れもない侘びの世界なのである。日本では「侘び然び」について言語分析が主たる目的になってしまい、せいぜいよくて数寄屋造りと庭園に表現するのがやっとで、それ以上の都市空間的発想が存在しない。侘びも然びも幽玄も、建築家に才能さえあれば、都市機能を充分満たした形での巨大空間としてそれを演出することは可能なのである。

 それを日本人がやってみせてこそ、「侘び然び幽玄」は日本人の突出した美意識として世界が認めるのである。

(『侘び然び幽玄のこころ』第四章 ヨーロッパに於ける「侘び然び幽玄」 ヨーロッパの然び)