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2020.10.02

『タオと宇宙原理』〈39〉第一章 「空」―絶対性の否定

 相対も自他のそれぞれに自性を認めることなので否定されるのである。自己の絶対性の謬(あやま)りと同時に他者の絶対性も同様に、それ以外を否定することになるので謬りとなり成り立たない。その意味ではキリスト教的神も存在しない。何故ならキリスト教の神は常に人間やサタンを相対的存在として位置付けるからである。もし絶対という概念で神を捉えようとするならば、この宇宙の一切を神としなくてはならない。すなわち、人もサタンも神の一部分であるという概念を形成させる必要がある。それは東洋における汎神論と一致する。その時には人格神的神の存在は否定されることになる。

 ところが、ここで絶対の重要なもう一つの概念に抵触する。すなわち絶対とは「一」と同時に変化しない「絶対固定」を指すからである。要するに変化することを許さないのである。変化するものを絶対とは言わない。「絶対に裏切らない」という意味は一度でもそれに反することは許されない。それと同様にその状態が一切変わることを許さないのである。その意味で、絶対神なる概念は認められないのである。それ故、仏教は諸行無常(迷いのこの世は変化する)といい、諸法無我(この世の存在原理は無我=無自性なり)であり「空」であると説くのである。

(『タオと宇宙原理』第一章 意識と科学 古代の叡智と量子仮説 「空」―絶対性の否定)