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2020.08.13

侘びの根底にある「和を以て貴しとなす」の精神

 家柄は貴族階級であったとしても、そこにも上下があり、プライドの傷付け合いがあり、惨めな現実とも対峙させられる。そういう中で自ずと醸成された美意識であったのだろう。しかしそれならば、世界中どこの人種にだって当てはまることである。何故に日本人だけにその美が見出されたのかと考える必要がある。それは、聖徳太子に代表される「和を以て貴しとなす」という精神だったのではないかと考える。他の国々では基本的に掠奪の精神史であり、日本ほど和を意識する国はなかった。わが国にも嫉妬や怨みなどが渦巻いていたとは言え、基本ベースが剣を持って殺し合う関係になかったことが大きいのではないかと思う。そうなると、一部の凶行に走る者を除き、権謀術数はあっても剣にて覇に生きない雅人たちには、出世出来ない者たちの悲哀が、一つの短歌として愁美さを見出すようになったのではないかと推察するのである。

 さらにそこから現実逃避の者も出るようになり、その意識は一人孤独性に生き始める。そうすることで侘びや然びは益々研ぎ澄まされ、洗練されていったのではないかと想像する。更にそこには孤立の世界の安らぎの場としての神仏との出会いを求めるようになり、その結果、神道に救いを求め、中国の書物からの影響も受けて、幽玄なる世界に更なる高みを見出し、幽玄を追い求めていったのではないだろうか。当初はより仏教哲学的で硬派なイメージであったものが時代を下るに従って、より幻想性を強め、世阿弥に代表されるような美意識へと発展していったのだと思われる。その時には、当初の仏教哲学的な要素よりもより美性を求める傾向にあったと思われる。その意味では斯書にて筆者は原初の仏教的美意識の方を強く説こうとしているということが出来るだろう。

(『侘び然び幽玄のこころ』第五章 「侘び然び」の再定義 否定的体験の再評価)