BLOG

2020.08.10

貧しく清く簡素である「侘び」

 言語学的には「わび」とは、自分の意の儘にならぬ様を言う。文法的には、動詞「わぶ」(悲観する、辛く思う、寂しがる、困窮する)の連用形名詞である。

 研究者や茶道家によれば、「侘び」は貧困から出てきた概念だという。その貧困性の中にある枯淡の趣を見出すことで生まれてきた美意識である、と言うのだ。

 ただ「わびしい」だけでは侘びしいから、その状況を克服する形で見出されてきたのが前向きな諦めであり、いまを足る知足の意識だったのである。それはその人物の心に誇りを与えることが出来た。それが後に技芸に表現されるようになり、そこから出てきた美意識なる思想が「侘び」だったのである。

 昔からわが国では「清貧」という言葉があった。戦前の教育下にあった者ならば、全員が、この言葉に良くも悪くも呪縛され、贅沢をしてはいけないという経済の発展原理に抗する心理に抑圧され少なからぬ葛藤を覚えたものである。この「清貧」こそが侘びを最も的確に表現するものの一つではないかと思う。何故なら、この言葉には貧しくとも心豊かに、清廉潔白に生きる姿が思い描かれていたからである。

 更に正確に言うならば、この清貧の裏に、苦悩なりの実態がありながらも、それを噯にも出さぬ姿だと言えるだろう。その更に奥には万物に対する深い惻隠憐憫の情が隠されているのである。その事が理解出来ない論者の中には、侘びを貧乏からの卑しい思想と言う人すらいる。兎角、西洋かぶれの人物なのだが、侘びを単なる貧困からの居直りの思想と思ったら大きな間違いである。

(『侘び然び幽玄のこころ』第五章 「侘び然び」の再定義 貧しく清く簡素である「侘び」)