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2020.06.21

〈自分〉という絶対的存在

 〈自分〉は私自身の中核であり、なんぴとといえども入り込むことのできない存在であった。その〈自分〉は私にとって絶対的存在だった。もちろんあなたにとってもである。しかしそれまでは、そんな絶対的存在が他者に有されているとは思ってもみなかったのである。絶対的存在は〈自分〉以外に有り得なかったのだ。

 〈自分〉は、常に喜怒哀楽に支配されて存在する。親子の愛情、兄弟との葛藤、子ども仲間における友情や対立や夢中の遊びや勉強の中に〈自分〉は常に存在し、自己肯定や自己保全や感情的反発や同情、また未知なる世界への憧れなどの衝動とともに活動しているのである。いかなる場面であっても、〈自分〉は常にその中核に位置している。それ故に、感情に支配されるのである。それは〈自己保全〉の衝動がすべての生命の中に作用しているからであるのだ。〈自分〉は常に自分を守ろうとする。決して自分より先に他人を守ることはない。〈自分〉を生きているからである。

 その意味で〈自分〉とは、常に欲求に先んずる存在であり、そしてその欲求を発する者でもある。そしてそれは常に自分に好意的であろうとするのである。その原理のすべてが生物学的な自己保全性に帰一すると考えられる。その〈自分〉は昨日も今日も明日も自分を優先することでしか生きられない。〈自分〉とはどこまで行っても〈自分〉から逃れることができない存在であるのだ。

(『人生は残酷である』第一章 自然哲学への憧憬 自分はなぜ〈私〉なのか)