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2020.06.09

西洋哲学と東洋哲学の希求するもの

 西洋哲学はみな、ことばしか考えない。西洋人がそうであるからである。しかし、東洋哲学はことばにそこまでの価値を認めない。なぜならそれ以上のものを見出してきたからである。「言外の言」という言い方があるように、われわれはことば以上の存在やその奥の意味を理解することを求められてきた。それ故に、デューイではないが、ことばは道具でしかなく自己表現の一部にしかすぎないことをよく知っているのである。そのことがわれわれ日本人にはよくも悪くも作用しているといえるだろう。良くは穏やかさや深淵さであり、悪くは自己表現能力の低さである。西洋人たちの、否、ユダヤ人・西洋人たちの言語能力の高さを否定することはできない。この世がことばを中心とする限りにおいて彼らの存在は常に人類の中核であることを意味するだろう。

(『人生は残酷である』序章 自分の人生とは)